|
|
|
|
リラックセーション。 |
|
|
曹洞宗の沢木老師が言われていた言葉に「娑婆の事は芝居じゃ本気になってやっていたら命がいくらあっても足りない」人生を風景のように見ていく。天気の日もあれば嵐の日もある。春には山が肥える、冬には落葉で山が痩せてくる、枯れ木も山の賑わい。部分から全体を見るのではなく、全体から部分を見るようにしていく訓練をしないといけない。今、日本が行きずまって居るのは、叩き上げが居ないと言う事です、プロフエショナルが居ないと言う事です。 天下りは非常にいけない事です。今此処に新たな伝説が甦る。マルティン、ハイデガーは。我々は或る日突然に、誤って此の世の中に投出された物だと、生れて来る者に選ぶ権利は無いと、宣言しています。 逆境を跳ね返して生きた。司馬遷が残した世界的に有名な著書、史記です。私が最も尊敬して居る内の2人です。是非暇な時に見て下さい。花は愛着に散り草は嫌兼に生るのみ。人間は頭の働きに騙されると言う生理習性が有ります。頭の働きに騙されない事でとす、感覚感情に流されない様にしないといけません。感覚感情を乗り越える訓練をしないといけません。それが良く解るのが5月病です。4月8日の花祭りの御釈迦様の像が、右手を上に左手を下に立って居るのは、御釈迦様が生まれて直に7歩歩いて、右手を上に左手を下にして、天上天下唯我独尊と言われたのは、私だけが尊のではなく、天地間に尊く無い物は何も有りませんと言う事です、皆平等と言う事です。御釈迦様の法は、同時行です。これはあなたの苦しみはわたしの苦しみです。あなたの悲しみはわたしの悲しみです。というように、一緒になって悲しんだり苦しんだりするということです。叱咤激励するのではなく、同じ立場になって泣いてくれるという事です。これが天地同根、万物一体、大中小同時常道、という事です。親鸞聖人は浄土真宗では悟って居ないと言われて居ますが弱い物は弱い者なりに生きれば良いと言う事を悟られたのです。在るがままに生きと言う事を。体の弱い人が強くなろうとして体を壊してしまう様な物です。無病息災ではなく、多病息災、柳に雪折れ無です。人生は世間に流されない事です。一般的に間違い易いのが頭を使うのと、気を使うのとを勘違いする事です。頭は使えば使うほど良いのですが勘違いをして気を使っているのです。此れは非常に体に悪い事です此れが結構痴呆症を起こして居る事が有ります。良寛さんの詩にかたみとて何か残さん春は花夏時鳥秋は紅葉葉。人生は生き詰まら無い様に生きる練習をする事です。肩の力を抜いて生きて行く事です。 感覚感情に振り回されない事です。自我に振舞わされない事です。 人生は捨て方の問題です、如何に上手に捨てられるかどうかです。蒔かぬ種は実が出来ぬ。 |
|
|
|
|
|
|